初めて手術室に入った日のことは、たぶん一生忘れません。全員がマスクで顔が見えず、視線だけが動いていて、短い単語が飛び交う。普段の病棟英語とはまったく別の言語に聞こえました。しかも聞き返しづらい空気がある。私は最初の1時間、ほとんど何も理解できないまま立っていました。
後から分かったのは、手術室の英語にははっきりした特徴と型があるということです。文が短く、断定的で、そして必ず復唱される。この3つの性質を知っていれば、聞き取りの負荷は大きく下がります。この記事では、入室から退室までの流れに沿って、学生の立場で実際に使う表現を整理します。
🗂 目次
📌 この記事でわかること
- 手術室の英語は短文・断定・復唱の3原則。丁寧に言おうとするとかえって伝わらない
- 清潔・不潔の申告はためらわずに即座に ― 黙っているほうが重大な問題になる
- タイムアウトで交わされる定型文と、学生が聞かれる可能性のある項目
- 気分が悪いときの申告は安全上の義務。倒れる前に言うための一文を用意しておく
短く・断定的に・必ず復唱する
手術室の英語が病棟の英語と違う理由は、環境から説明できます。マスクで口元が見えず、機械音があり、全員が手元に集中していて、しかも聞き間違いが直接の危険につながる。この条件下で最適化された結果が、あの独特の話し方です。
| 原則 | 内容 | 病棟との違い |
|---|---|---|
| 短文 | 単語1〜3語で言い切る。「Suction.」「More light.」 | 病棟の Could you … ? は使われない |
| 断定 | 曖昧表現を避ける。「I think」は基本使わない | 遠慮した言い方はかえって危険 |
| 復唱 | 指示を受けたらそのまま繰り返す | 受け取ったことを音で示す文化 |
3つ目の復唱が、日本の学生にとって最も馴染みが薄い部分だと思います。「Suction.」と言われたら「Suction.」と返す。頷くだけでは伝わりません。マスクと術野で相手の顔が見えないので、声にしないと確認にならないからです。
私はここを理解するまで、指示に対して黙って動いていました。あるとき指導医に「返事をしてくれ、聞こえたか分からない」と言われて、ようやく意味が分かりました。復唱は礼儀ではなく安全確認の手続きです。
そしてもう1つ大事なこと。学生に対して丁寧な依頼形が使われないのは、冷たいからではありません。手術室では全員が同じ話し方をします。執刀医も看護師も同じように短く言い切る。これを人格的な扱いだと受け取ると必要以上に萎縮するので、最初に知っておくと楽になります。

入る前 ― 許可を取り、立ち位置を決める
手術室では入る前のやり取りが最も重要です。ここで許可と立ち位置を確定しておかないと、中に入ってから動けなくなります。
Would it be all right if I observed this case today?
ウッド イット ビー オールライト イフ アイ オブザーヴド ディス ケイス トゥデイ
本日の症例を見学させていただいてもよろしいでしょうか。
💡 見学のみの場合。observe は「清潔野に入らず見る」の意味で明確に伝わる
May I scrub in for this case?
メイ アイ スクラブ イン フォー ディス ケイス
この症例で手洗いをして入らせていただけますか。
💡 scrub in が「手洗いをして清潔野に入る」の定型表現。必ず事前に許可を取る
Where would you like me to stand?
ウェア ウッジュー ライク ミー トゥー スタンド
どこに立てばよろしいでしょうか。
💡 最重要の一文。勝手に立つと動線を塞ぐ。入室したら必ず最初に聞く
Am I in your way?
アム アイ イン ユア ウェイ
邪魔になっていませんか。
💡 術中に位置を確認するとき。短くて言いやすく、非常によく使う
Is there anything I should be careful about?
イズ ゼア エニシング アイ シュッド ビー ケアフル アバウト
何か気をつけるべきことはありますか。
💡 入室前に聞いておくと、その施設固有の注意点が引き出せる
Where would you like me to stand? は、この記事で1つだけ覚えるならこれ、という一文です。手術室は動線が厳密に決まっていて、立つ場所を間違えると清潔野を汚染したり、器械台と執刀医の間を遮ったりします。聞けば必ず教えてもらえるので、遠慮する理由がありません。
手洗いとガウン ― 清潔と不潔の英語
清潔操作に関する英語は、正確さが安全に直結する領域です。ここだけは曖昧に済ませてはいけません。
| 日本語 | 英語 | 読み |
|---|---|---|
| 手洗いをする | to scrub / to scrub in | スクラブ / スクラブ イン |
| 清潔である | to be sterile / to be scrubbed | ステライル / スクラブド |
| 不潔である | to be contaminated / to be non-sterile | コンタミネイティッド / ノンステライル |
| 清潔野 | the sterile field | ザ ステライル フィールド |
| ガウンを着せてもらう | to be gowned | トゥー ビー ガウンド |
| 手袋を着ける | to glove / to be gloved | グラヴ / ビー グラヴド |
| 手袋を替える | to re-glove | リーグラヴ |
| 清潔を破る | to break sterility | ブレイク ステリリティ |
Could you tie my gown at the back, please?
クッジュー タイ マイ ガウン アット ザ バック プリーズ
後ろでガウンを結んでいただけますか。
💡 ガウンの背面は自分で触れない。外回りの看護師に頼む定型
I’m scrubbed. Please let me know if I get too close.
アイム スクラブド プリーズ レット ミー ノウ イフ アイ ゲット トゥー クロウス
手洗い済みです。近づきすぎていたら教えてください。
💡 自分の状態を宣言しておくと、周囲が配慮しやすくなる
Sorry, I think I’ve broken sterility. I’ll re-glove.
ソーリー アイ シンク アイヴ ブロウクン ステリリティ アイル リーグラヴ
すみません、清潔を破ってしまったようです。手袋を替えます。
💡 絶対にためらわない。黙っているほうがはるかに重大な問題になる
I’m not sterile — please don’t hand that to me.
アイム ノット ステライル プリーズ ドント ハンド ザット トゥー ミー
私は清潔ではありません。それを渡さないでください。
💡 見学のみで入っているときに器械を差し出されたら、はっきり断る
この4つの中で、実務上いちばん大事なのは3つ目です。清潔を破ったかもしれないと思ったら、必ず即座に申告してください。言いにくい、恥ずかしい、と黙るのが最悪の選択です。手袋を替えるのに数十秒しかかかりませんが、汚染された手で術野に触れれば患者さんの感染リスクになります。
私は一度、無影灯のハンドルに肘が触れたかどうか自信が持てず、数秒ためらったことがあります。結局申告しましたが、指導医の反応は「よく言った、替えておいで」でした。申告して怒られることはまずありません。この確信を先に持っておくと、その場でためらわずに済みます。

タイムアウト ― チーム全体での確認
執刀前に、チーム全員が手を止めて患者と術式を確認する手続きがあります。タイムアウト(time out)と呼ばれ、多くの施設で標準的な安全手順として実施されています。学生は基本的に聞いているだけですが、内容が分かると場の流れが一気に理解できます。
| 確認項目 | 典型的な英語 | 日本語 |
|---|---|---|
| 患者確認 | Can we confirm the patient’s name and date of birth? | 患者さんの氏名と生年月日を確認できますか |
| 術式 | The planned procedure is … | 予定術式は〜です |
| 部位・左右 | Confirming the site: left / right. | 部位の確認:左 / 右 |
| 同意 | Consent has been obtained. | 同意は取得済みです |
| アレルギー | Any known allergies? | 既知のアレルギーはありますか |
| 抗菌薬 | Antibiotics have been given. | 抗菌薬は投与済みです |
| 予想される問題 | Any anticipated difficulties? | 予想される困難はありますか |
| 自己紹介 | Let’s introduce ourselves by name and role. | 氏名と役割を名乗りましょう |
最後の自己紹介の項目で、学生も名乗る場合があります。そのときの言い方は非常に短くて構いません。
I’m Ai, a medical student, observing today.
アイム アイ ア メディカル ステューデント オブザーヴィング トゥデイ
医学生の藍です。本日は見学です。
💡 名前・立場・役割の3点だけ。長く話す場面ではない
部位・左右の確認は、タイムアウトの中でも特に厳格に行われる項目です。left / right の聞き間違いは重大な事故に直結するため、はっきり発音され、しばしば復唱されます。この場面で私語や物音を立てないのは、どの施設でも共通の作法です。

術野での指示と応答 ― 鉤引きと吸引
学生が実際に任される機会が最も多いのが鉤引き(retraction)です。地味ですが、術野の視野を作る重要な役割で、ここでの英語は数が限られています。
Retract here, please. — Retracting.
リトラクト ヒア プリーズ ― リトラクティング
ここを引いてください。― 引きます。
💡 復唱の典型例。指示を動詞の -ing 形で返すのが定番
Hold this retractor steady. Don’t let it slip.
ホウルド ディス リトラクター ステディ ドント レット イット スリップ
この鉤をしっかり保持してください。ずらさないように。
💡 steady(安定して)が鍵。力の強さより動かさないことが求められる
A bit more traction. — Like this? — That’s good, hold it there.
ア ビット モア トラクション ― ライク ディス ― ザッツ グッド ホウルド イット ゼア
もう少し引いてください。― これくらいですか。― いいです、そのまま。
💡 Like this? は非常に使える確認の一言。短くて言いやすい
Ease off a little. You’re pulling too hard.
イーズ オフ ア リトル ユア プリング トゥー ハード
少し緩めてください。引きすぎです。
💡 ease off(力を抜く)。組織を傷めるので、言われたらすぐ緩める
Suction, please. — Suctioning.
サクション プリーズ ― サクショニング
吸引してください。― 吸引します。
💡 出血で視野が悪くなったとき。これも -ing 形で復唱
Could you hold this for a moment?
クッジュー ホウルド ディス フォー ア モウメント
少しこれを持っていてもらえますか。
💡 術野で何かを渡されるとき。受け取ったら勝手に動かさない
執刀医や助手が自分の動作を宣言する言い方も、聞いて分かるようにしておくと流れが読めます。Cutting.(切ります)、Tying.(結紮します)、Coagulating.(凝固します)、Loading.(針を装填します)。これらは誰かへの指示ではなく周囲への予告なので、学生が返事をする必要はありません。
鉤引きで最も大事なのは、実は英語ではなく動かさないことです。指示された位置と力を保ち、勝手に覗き込もうとして手を動かさない。私は最初、術野が見たくて無意識に鉤を傾けてしまい、何度も注意されました。Hold it there. と言われたら、視野が見えなくてもそのまま保つ ― これが正解です。
器械の名前と、手渡しのやり取り
器械の名前は、聞き取れると場の理解度が大きく変わります。学生が手渡しをすることは通常ありませんが、何が求められているかが分かるだけで見学の質が違います。
| 英語 | 読み | 日本語 |
|---|---|---|
| knife / scalpel | ナイフ / スキャルペル | メス |
| forceps | フォーセプス | 鑷子(せっし)・鉗子 |
| scissors | シザーズ | 剪刀(せんとう)・はさみ |
| needle holder | ニードル ホウルダー | 持針器 |
| retractor | リトラクター | 鉤(こう)・開創器 |
| suction | サクション | 吸引管 |
| swab / gauze | スワブ / ガーゼ | ガーゼ |
| suture | スーチャー | 縫合糸 |
| tie (ligature) | タイ | 結紮糸 |
| diathermy / cautery | ダイアサーミー / コーテリー | 電気メス |
| clamp | クランプ | クランプ・遮断鉗子 |
| drain | ドレイン | ドレーン |
手渡しに関わる表現も、聞こえたときに分かるようにしておきます。Pass me the …(〜を渡して)、Ready.(準備できました)、Take it.(受け取って)、Sharp!(鋭利なものです ― 注意喚起)。
Sharp! は特に重要です。メスや針など鋭利な器械を渡すときの警告で、これが聞こえたら周囲は手の位置に注意します。針刺し事故を防ぐための決まり文句なので、意味を知らないまま聞き流さないでください。

困ったときに必ず言うべきこと
ここが、この記事で最も真剣に読んでほしい部分です。手術室で学生が黙ってしまうと、自分だけでなく手術全体に影響します。困ったときの一文を、事前に口が覚えている状態にしておいてください。
I’m feeling a bit faint. I need to step back.
アイム フィーリング ア ビット フェイント アイ ニード トゥー ステップ バック
少し気分が悪いです。下がらせてください。
💡 最重要。倒れると清潔野を汚染し、手術が中断する。我慢は迷惑になる
Sorry, I didn’t catch that. Could you repeat it?
ソーリー アイ ディドゥント キャッチ ザット クッジュー リピート イット
すみません、聞き取れませんでした。もう一度お願いできますか。
💡 聞き返すのは正しい行動。分からないまま動くほうが危険
I’m not sure what you’d like me to do.
アイム ノット シュア ワット ユード ライク ミー トゥー ドゥー
何をすればよいか分かりません。
💡 推測で動かない。手術室では間違った動作 > 動かないことのリスク
My arm is going numb — could I adjust my position?
マイ アーム イズ ゴウイング ナム クッダイ アジャスト マイ ポジション
腕がしびれてきました。position を変えてもよいですか。
💡 長時間の鉤引きで実際に起きる。無断で動かさず、許可を取って変える
気分が悪くなったときの申告は、遠慮ではなく義務です。学生が手術室で失神するのは珍しいことではなく、スタッフも慣れています。問題は、倒れた場所が清潔野の近くだった場合に、器械や術野が汚染されて手術が止まることです。
だから「まだ大丈夫」と思う段階で下がるのが正しい判断になります。視界が狭くなる、耳鳴りがする、汗が出る、音が遠くなる ― これらはどれも前兆です。1つでも出たら、その時点で I need to step back. と言ってください。誰も咎めません。
私自身、最初の長時間手術で立ちくらみを起こしかけたことがあります。早めに申告して下がり、水を飲んで少し座ってから戻りました。指導医からは「早く言ってくれてよかった」と言われただけでした。この経験があるので、後輩には必ずこの一文を先に教えています。
終了時と、やってはいけないこと
最後に終了時の表現と、手術室での禁止事項をまとめます。
Thank you very much for letting me scrub in today.
サンキュー ヴェリー マッチ フォー レティング ミー スクラブ イン トゥデイ
本日は手洗いをさせていただき、ありがとうございました。
💡 退室時に必ず言う。次の機会につながる
Would it be all right to ask you a question about the case later?
ウッド イット ビー オールライト トゥー アスク ユー ア クエスチョン アバウト ザ ケイス レイター
後ほど症例について質問してもよろしいでしょうか。
💡 術中に質問しない。後で聞く許可を取るのが正しい作法
| やってはいけないこと | 理由 |
|---|---|
| 術中に長い質問をする | 執刀医の集中を切る。質問は術後に |
| 清潔野に背を向ける / またぐ | 背中は不潔域。清潔野の脇を通るときは顔を向けたまま |
| 手を下ろす / 腰より下げる | 清潔を保つ範囲は胸から肩の高さまで |
| 勝手に位置を変える | 動線と清潔野を乱す。必ず許可を取る |
| 汚染を黙っている | 最も重大。患者さんの感染リスクになる |
| 体調不良を我慢する | 倒れると手術が止まる。前兆の時点で申告する |
| 術野の写真を撮る | 施設の規定と患者さんの同意なしには絶対に不可 |
この表の中で、英語と直接関係しないものも含めたのは、言葉が分かっていても作法を知らないと結局困るからです。特に「清潔野に背を向けない」は、日本語でも英語でも説明されないまま暗黙のルールになっていることが多く、私は最初の日に注意されて初めて知りました。
最後にもう一度だけ。手術室で学生に求められているのは、上手にやることではありません。邪魔をしないこと、清潔を守ること、分からないときに聞くこと、体調が悪いときに言うこと。この4つができていれば、英語が多少つたなくても十分に評価されます。逆に、英語が流暢でもこの4つができていなければ、次から呼ばれなくなります。
❓ よくある質問
Q1. 手術室の指示が短くて冷たく感じます。嫌われているのでしょうか?
Q2. 指示を復唱するのは、どんな場面でも必要ですか?
Q3. 清潔を破ったか確信が持てないときは、どうすればいいですか?
Q4. 鉤引き中に術野が見えません。少し動かしてもいいですか?
Q5. 気分が悪くなったとき、どのタイミングで言うべきですか?
Q6. 術中に質問してもいいタイミングはありますか?
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おわりに
- 手術室の英語は短文・断定・復唱。丁寧に言おうとするとかえって伝わらない
- 入室したら必ず Where would you like me to stand? で立ち位置を確定する
- 清潔を破った可能性は確信が持てない時点で申告する。黙るのが最悪
- 鉤引きは動かさないことが仕事。Hold it there. と言われたら見えなくても保つ
- 体調不良の申告は安全上の義務。前兆の段階で I need to step back.
手術室は、医学部で最も緊張する場所の1つだと思います。ただ、そこで求められていることは意外とはっきりしていて、しかも数が少ない ― 邪魔をしない、清潔を守る、分からなければ聞く、無理をしない。この4つを英語で言えるようにしておくだけで、初日の心細さはかなり減ります。まずは立ち位置を尋ねる一文と、体調不良を申告する一文。この2つだけ、口が勝手に動くまで練習してから入ってみてください。
※ この記事は語学学習のための表現集です。清潔操作の可否、学生が触れてよい範囲、手術室での行動規範は施設ごとに厳密に定められています。実際の行動は必ず指導医・手術室スタッフの指示と各施設の規定に従ってください。


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