90分の講義が終わって教室を出たとき、ノートに文字は増えているのに、頭の中には何も残っていない ― そういう日があります。一方で、面倒だからと1回飛ばした週に限って、試験でその範囲を落とす。この二つを何度か往復すると、「講義に出るべきか」という問いが、やる気や真面目さの話ではないことがわかってきます。
私は1年目、ほぼ全部の講義に出ました。出席が義務の科目が多かったこともありますが、何より「出ておけば安全だろう」と思っていたからです。2年目から、科目ごとに出方を変えました。結果として成績は落ちず、自習に回せる時間だけが増えました。変えたのは量ではなく、判断の仕方です。この記事では、その判断を感覚ではなく手順にする方法をまとめます。
🗂 目次
出席は成果ではなく、手段のひとつ
まず切り分けたいのは、出席日数と理解度はまったく別の量だということです。90分その場にいても、内容が既に読んで理解済みのことの再説明だったなら、その時間から得たものはほぼゼロです。逆に、出た90分のうち10分だけ、教科書のどこにも書いていない「なぜそうなるか」の説明が挟まることがあり、その10分が試験の1問を決めることもあります。
そしてもう一つ、見落としやすいのがコストのほうです。講義に出るコストは90分ではありません。行き帰りの移動、始まる前の待ち時間、終わったあとに集中を戻すまでの時間 ― 実際に測ってみると、朝の1コマのために半日が丸ごと「講義の日」になっていることがあります。自習は途切れると再開に時間がかかるので、コマとコマの間に空く90分は、同じ90分でも自宅の90分より価値が低い。ここを勘定に入れないと、「たった1コマだから」がいつのまにか1日を食べています。
だから判断の基準は、好き嫌いでも真面目さでもなく、次の一行に集約できます ― その90分で、自分ひとりでは作れなかったものが手に入るか。手に入るなら出る。手に入らないなら、その時間は別の使い方をしたほうが総量として増える。以下は、この一行を科目単位・回単位に落としていく作業です。
講義の「効きやすさ」は科目でほぼ決まっている
講義の価値は、講義そのものより扱っている内容の性質で決まります。「話を聞かないと組み立てられないもの」なのか、「読めば同じもの」なのか。私の経験では、この分類は科目名を見た時点でだいたい当たります。
| 内容のタイプ | 代表的な科目 | 講義の価値 | 理由 |
|---|---|---|---|
| 理解型(因果を追う) | 生理学・生化学・病態生理 | 高い | 教科書は結論を順に並べるが、講義は「AだからB、BだからC」を口頭で辿ってくれる。この筋道は文章より音声のほうが入りやすい |
| 実習・手技 | 解剖実習・基本手技・診察 | 最高(代替不可) | 手を動かす経験そのものが目的。動画でも本でも置き換えられない |
| 演習・症例検討 | 症例ベースの少人数授業 | 高い | その場の議論と、教員が考えを修正していく過程が資料に一切残らない |
| 暗記型(名称の一覧) | 解剖の名称・薬理の分類・微生物名 | 低い | 読めば同じ内容。自分で読むほうが3倍速い。聞いている間は自分のペースを捨てている |
| 概論・導入回 | 各科目の第1回・総論 | 低〜中 | 教科書の第1章とほぼ同じ。ただし試験範囲や評価方法の説明が混ざるので、初回だけは別枠で扱う |
もう一つの変数は講師です。スライドを上から読み上げるだけの回もあれば、脱線した10分にその科目の本質が全部入っている回もあります。これは科目名からは判別できませんが、1〜2回出れば確実にわかります。だから「出るか出ないか」を学期の頭に決め打ちするのは、いちばん情報が少ない時点でいちばん重い判断をしていることになります。順序が逆で、最初は出て、集めた情報で決める。
なお、暗記型を「価値が低い」と書きましたが、これは講義が悪いという意味ではありません。名称の一覧は読む速度が自分で決められる形式のほうが相性がいい、というだけの話です。理解型と暗記型で勉強法そのものを変える話は、生理学・生化学が「暗記では解けない」理由 に書いています。

出席が義務でも、中身は選べる
ここまで読んで「うちは出席が義務だから関係ない」と思った人もいると思います。実際、ヨーロッパの医学部では実習・演習を中心に出席が制度的に義務づけられていて、欠席回数が一定を超えると試験の受験資格そのものを失う仕組みが普通にあります。私の学部もそうです。だからこの記事は「サボる技術」の話ではありません。
制度は動かせませんが、その90分をどう使うかは動かせます。そしてここに落とし穴があって、義務で出ている回ほど「座っているだけ」になりやすい。自分で選んで出た回には目的がありますが、行かされている回には目的がないからです。出席が義務の回こそ、先に目的を1つ決めてから座る必要があります。
私の場合、義務の回の目的は毎回同じで「この時間内に終わらせる」です。帰ってから復習する前提を捨てて、終了時点で内容が頭に入っている状態を目指す。そう決めると、聞き方が自然に変わります。終わったあとに回収する予定の90分が、そもそも自分の予定表に無いからです。
出ると決めたなら ― 90分の使い方を変える
出席する回の効率は、講義中よりも前後の8分で決まります。私がやっているのは次の4つです。どれも短く、その場で完結します。
- 直前5分の予習:スライドか資料の見出しだけを流し読みして、知らない単語を3つ書き出す。これだけで「どこを聞くべきか」が決まり、全部を均等に聞こうとする状態から抜けられる
- ノートは文ではなく「問い」で取る:板書やスライドを書き写す作業は、資料が配られる今の環境ではいちばん価値が低い。書くのは「なぜここで血流が増えるのか」のような疑問文にする。あとで自分に出題できる形になっていれば、そのまま復習材料になる
- 終了直後の3分:席を立つ前に、今日の内容を1文でまとめて書く。書けなければ理解していないので、その場で資料を見返す。この3分があるかないかで、復習の初速が変わる
- 「わからなかった」を1個だけ持ち帰る:全部拾おうとすると1個も残りません。最も引っかかった1点に印をつけて、その日のうちに教科書で潰す
特に2つ目は、講義の使い方が変わる転換点でした。写す作業をしている間、頭は文字を運んでいるだけで内容を処理していません。手が止まっている時間のほうが、実は理解が進んでいます。録画がある科目なら、写経はもっと不要になります ― その使い分けはオンライン講義動画を効率よく使う視聴術のほうで詳しく書きました。
💡 語源メモ ― lecture は「読み上げること」だった
英語の lecture は、ラテン語の lectio(読むこと・朗読)から来ています。動詞 legere(読む・選び取る)が元で、同じ語根から lector(読み手)や lesson も生まれました。
この語源は比喩ではなく、そのままの意味でした。印刷術が普及する前、本は1冊ずつ手で写された高価品で、学生は本を持てません。だから教師が唯一の写本を声に出して読み、学生がそれを書き写す ― それが文字どおりの「講義」だったわけです。写す作業に価値があったのは、本が無かったからです。
今は資料がその場で配られ、教科書も動画も手元にあります。つまり lectio の部分は、もう自分ひとりで再現できる。残っているのは読み上げ以外の部分 ― 因果の説明、質問への応答、その場の議論です。講義に何を期待して座るかは、この差から考えると整理しやすくなります。
出ないと決めたなら ― 先に「代わり」を予約する
出ないという判断そのものは、まったく悪くありません。問題が起きるのはほぼ例外なく、空いた90分の使い先を決めていないときです。「今日は出ないで自分で読む」と決めた日の午前が、気がつくと何をしたか思い出せない時間に変わっている ― この一回が、次から「やっぱり出たほうが安全だ」という結論を呼び込みます。
だから私は、休むと決めたときは先に手順を踏むようにしています。
- その回の到達点を資料から確認する:シラバスかスライドの見出しで、「何が言えるようになれば足りるか」を先に把握する
- 代わりの90分を、その週の予定表に実際に置く:曜日と時刻まで決める。「空いた時間にやる」は予定ではありません
- 穴の確認は問題形式でやる:読んで終わりにせず、その範囲の問題を数問解いて、埋まったかどうかを外から判定する
そのうえで、出席者からしか手に入らない情報が2種類あることははっきり認識しておく必要があります。一つは口頭のアナウンス ― 試験の形式変更、範囲の増減、「ここは出す」という類の情報は資料に残りません。もう一つは質疑です。誰かが自分と同じところでつまずいて質問し、その答えが自分の理解も直す、という場面は想像以上に多い。
この2つを埋める仕組み ― 情報を交換する相手や、共有される録音・ノート ― を持っていないなら、正直に言って出たほうが安いです。逆に言えば、休む判断が成立するのは、そのネットワークがある人だけだとも言えます。

週の頭にやっている4つの判定
ここまでの内容を、毎回考え直していては疲れます。迷っている時間自体がコストなので、私は週の予定を組むときにまとめて処理しています。使っているのは次の4つの質問です。
| 質問 | 答えが Yes なら | 補足 |
|---|---|---|
| 実習・演習・手を動かす回か? | 出る(例外なし) | ここは判定に入れる必要すらない。代わりが存在しない |
| 録画も詳細な資料も出ない回か? | 出る | 資料が充実しているほど、出席の追加価値は下がる |
| 前回、教科書に無い話があったか? | 出る | 講師の当たり外れは前回の実績がいちばん正確な予測になる |
| その科目の試験が2週間以内か? | 出る | 試験が近いほど口頭アナウンスの価値が跳ね上がる |
運用は単純で、Yes が2つ以上なら出る。それだけです。1つ以下なら自習に回し、上の「代わりを予約する」手順を踏みます。厳密である必要はまったくなくて、毎回ゼロから悩まずに済むことのほうが効いています。週単位で予定を組む考え方そのものは週の勉強計画は「時間割」ではなく「残タスク量」で組むと同じ発想です。
そしてもう一つ、出た回に点数をつけて記録しておくことを勧めます。私は資料の隅に、その回が「元を取れたか」を1〜3の3段階で書いています。1が「読めば済んだ」、3が「出ていなければ理解できなかった」。3週間も続けると、科目ごとの答えが感覚ではなく記録として出てきます。そこから先は、判定表よりその記録のほうが正確です。

よくある質問
❓ 講義の出欠でよく聞かれること
Q1. 出席点があるなら、全部出るべきですか?
Q2. 講義に出ないと、友人関係に影響しませんか?
Q3. 眠くて集中できない講義はどうすればいいですか?
Q4. 1年目から科目を選別してもいいですか?
Q5. 教科書を読むだけで足りる科目は、本当にありますか?
※ 見出しをタップすると続きが開きます。
最後に
- 出席日数と理解度は別の量。判断の基準は「自分ひとりでは作れないものが手に入るか」の一行
- 講義の効きやすさは内容の性質でほぼ決まる。実習・演習・理解型は高く、名称の暗記型は低い
- 出席が義務でも90分の使い方は選べる。義務の回こそ「この時間内に終わらせる」を目的にする
- 出る回は前後8分(直前5分の予習・終了直後の3分)で効率が決まる。ノートは文ではなく問いで取る
- 休むなら、代わりの90分を予定表に置いてから休む。口頭アナウンスと質疑を埋める相手がいることが条件
- 毎回悩まず、週の頭に4つの質問でまとめて判定する。そのうえで各回に1〜3の点数を残す
「講義に出るべきか」という問いに、全科目共通の答えはありません。ただ、答えを出すための手順は共通にできます。科目の性質を見て、1〜2回出て情報を集め、週の頭に判定し、結果を記録して次に回す ― この回し方さえ持っていれば、出ても休んでも、どちらの選択も自分の設計の中に収まります。怖いのは休むこと自体ではなく、基準を持たないまま毎週その場の気分で決めていることのほうです。
まずは今週、出た講義の資料の隅に1〜3の数字を書くところから始めてみてください。3週間後、自分の時間割の中で本当に価値のある90分がどれか、はっきり見えるようになっているはずです。


コメント